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gm.imeka

Author:gm.imeka
生息地 宮城県
性別 おばちゃん
家族アリ 夫1人、子供3人
全員O型 お気楽家族

日本の代表的スクラップブッキング雑誌
Love My Memories((ラブメモ)
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がん物語その3

ごめんなさい。また時間が空いてしまいました。
5月の半ばから職場復帰していました。
もともと週に3日か4日の出勤でしたが、病み上がり(?)ということでご考慮いただき、
最初の1か月は週2ペースでの出勤。
でも、やはり、自分では元気と思っていても、仕事となると、
正直、大分つらい日々でした。
もうすぐ1か月がたちますが、今月に入り、ようやく、息切れも少なくなり、
疲れに襲われ、床に就く時間が長いということもなくなってきました。
傷の痛みもほぼ緩和、くしゃみの時の悶絶も、嘘のようになくなりつつある今日この頃です。
嬉しい、メッセージや、LINEもとどき、感謝感謝の毎日です。
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blog2_2016061009145865c.jpg
金魚のゼリー!きれいです。
ごちそう様です。
素敵なカードも。いやされました。
ありがとうございます。
 
そしてがん物語の続き。
前回は12月末までのことを書きました。
クリスマスも終わり、通年通り大掃除を済ませ、
義母の喪中でしたので、お正月を迎えることはできないので、
通常通りの生活。家族だけで、食事会をしました。
まだその時点で。子供たちは(はい!もうすっかり独立した大人です)何も知りません。
1月の中旬に甲状腺の細胞診の結果を聞くための通院予定を待つしかないので、
考えてもしょうがないと、平常の生活。
新年も販売業種の仕事のため、仕事に出ておりました。
喪中ですが、孫ちゃんたちが楽しみにしているので、おとしだまを振る舞い、
楽しい年始をすごして、いよいよ外来の日。
結果は、やはり、出ていないとのこと。
甲状腺の担当の頭頚外科の先生は、
こちらは、優先順位から決断すれば、肺のほうが先なので、
呼吸器内科の検査結果で、肺がんであれば、そちらの治療を先にして、
それからでも甲状腺がんは問題ないという結論ですので、
2月の検査を待ちましょう。と。
その結果次第で、呼吸器内科と頭頚外科で、カンファレンスを開いて、
指針を決めますと。
おお~!!カンファレンス!医師もののドラマでやってるやつだわ!
ちょこっと感激。←ばかか!
余談ですが。このころ、ちょうど’フラジャイル’という長瀬智也主演のドラマが、病理検査医師の話だったので、
まさにビンゴな内容で目が離せませんでした。

2月までまた持ち越しになりました。
未だ確定していない病気なので、
子どもたちにも言えず、
治療が決まった場合の、職場への報告をどうするかとか、
預かっている孫ちゃんをどうするかとか、いろいろ悩みはするものの、
結局、何も確定しない内はどうしようもないので、
あまりくよくよしても、ね!しょうがないな~ということで、意外と明るい気持ちでいられたのは、自分でも不思議です。
今思うと、実感がわかなかったのかな?
そして迎えた2月の呼吸器内科の診察。
レントゲン、MR。血液検査。
たっぷりの時間をかけ、検査結果が出てからの診察。
’大きくなっています。’画像を見せられ、説明される。
この時ばかりは夫もついていくというので、一緒に聴いてもらいました。
11月は7㎜、今回は1,2㎜の大きさです。
成長しているので、ただの炎症とかではなく、
肺腺がんの可能性がきわめて高い。
手術になるでしょう。場合によっては抗がん剤投与の可能性もあります。
可愛い女医さんがにっこり言いました。
手術で取れば治りますか?私もにっこり聞きました。
とってみないと何とも言えませんが。
小さいうちとったほうが断然いいです!と可愛い女医さん。(本日2度目)
右肺上葉部。画像で見るとほぼ真ん中あたりに、根を張る様な何かが。
ほぼ確定ですが、今度は、肺の中の細胞を取って、さらに確定させましょうと決まりました。
3月1日。一泊二日の検査入院。
決まりましたので、そこからがまた忙しかった!
職場の上司に相談し、今後の仕事をどうするか。
子供たちへの報告。
ココからいよいよばたつき始めたのでした。
つづく。

がん物語その2

前記事で12月までのことを書きました。
通院の時系列はその1の通りですが、
その間の葛藤や、影響もいろいろとありました。
まずは、万が一のことがあれば、後悔するとなんとなく思い、
両親を温泉旅行に連れ出しました。
12月の頭です。
近場でしたが、温泉、石巻、女川、松島、うみの杜水族館、
行きたいという場所を計画なしで進む旅。
私は一日目はついていけなかったので、夫と、叔父夫婦に一緒に泊まってもらい、
二日目の始発電車に乗り、合流。
まあまあ喜んでくれましたが、これはあくまで、私の自己満足だったんでしょう。
姑を温泉に連れて行きたっかのに、かなわなかったこともトラウマになっていたのかも。
私自身の職場もいろいろ動きがある時期で、
悩み多きものの、忙しいということはイコール忘却なのであることで、
考えなくてもいい時間があったことは救いです。
そして、確定まで誰にも言わないでおこうという決意は、
いとも簡単に崩れたのです。
はい!!自白します。私は’へたれ’でした。
あれは、3回目の針生検を終え、へとへとになり職場に行き、勤務して、
やっと帰宅した数分後、’今日は急な飲み会になったのでお迎えよろしく~♡’
という能天気な夫からのメールが。
何も知らないから能天気なのは仕方ないのですが、
我慢して迎えに行くものの、さらに能天気なご機嫌な酔っ払いに変身した夫。
いやいや~さすがに参りました。
このまま年末もご機嫌な酔っ払いの相手はかなわんと思い、
しらふの時に、がんセンターの診察券をご提示させていただきました。

なにゆえ、夫にも言わないでおこうと考えたか、
さかのぼること、十数年前、彼は皮膚がんになりました。
その時も命にかかわるものではないが、手術で取ろうといわれた時のうろたえぶりは
ハンパないものでした。いえ、動揺というより、思考回路が止まってしまったようで、
何も聞こえない、話せないという感じ。仕方のないことだったのかも。
結局、、私が奔走し事なき内に大学病院に入院手術、り患部分がきれいにとれて、
経過観察も問題なく、5年が過ぎて、完解状態で今に至っています。
その時の状態と、数年前の私の乳がん疑いの時、検査前でもあるにもかかわらず、
子どもたちに連絡し、ママががんだと宣言してしまったこと。
この二つの事件から、導き出した結果だったのです。
それなのに、。腹が立った勢いで、知らせてしまった。
私の人間が出来ていない証拠でした。
とほほ。
あなただけの胸にしまってくださいとお願いしたのですが、
はい!!お察しの通り、次の日には娘にばらしてしまっておりました。
とほほ。ダブル。
それが、クリスマスも終わった年末でした。
私自身はといえば、結果を待つしかない時期でしたので、思ったより冷静で、
余命を切られたら、やるべきことを箇条書きで書いたり、
就活の記事を読んだり、
がんについて調べたり、
今後に思いをはせることをしながら、
日々通常通りの生活していました。
つづく。

がん物語その1

昨日の記事より続き。
紹介状を持って、県立がんセンターを訪れたのは、岩沼南東北病院で、PET検査の結果を聞きたその足ででした。
紹介状を持っていてもその日のうち無理でしたので、予約を取り、帰宅。
確定診断がつくまでは誰にも言わないつもりでいたので、
まんじりともしない思いでいましたが、
毎年恒例の結婚記念日旅行に、何も知らない夫と、出かけておりました。
行き先は日光、東照宮で、何を願っていたのかは誰も知りません。
そして11月26日がんセンター頭頚科初診。
その日のうち、CT検査。内視鏡検査をして、ペットの画像とも照らして、
確かに何かあるようだと。
次回超音波検査と、針生検をしましょうということに。
12月4日超音波検査と針生検。
結果は12月10日という説明。
12月10日、針生検で、細胞がうまく取れなかったという結果で、
12月18日再度針生検。
結果が出るまでの間、肺の部分も気になるので、念のために、呼吸器内科も受診を勧められ、
12月24日、呼吸器内科初診。
この時まで、肺は炎症でもPET検査で反応が出ることもあるということだったので、
ちょうど風邪をこじらせた時期でもあったから、すっかり炎症だと思っていました。
CtTの結果も、レントゲンも確かに右肺に何か影があることが判明。
しかし7㎜という大きさなので、炎症の可能性もあるから、3か月経過観察しましょうということに。
2月に見て、大きくなっていればたぶん’がん’です。無くなるか小さくなっていれば炎症です。
そうか~!!って感じ。
そして、
甲状腺にあるものが、たとえ、がんだとしても、この部分のがんはおとなしく、
今すぐ進行するものでも、命を脅かすものでもないとの説明を頭頚科の先生より聞かされました。
がんだったら、急がないので、希望の時期(あったかくなったらとか、仕事の都合とか)に手術しましょうか。
などとおっとりした感じで、今後を詰める予定でした。
12月25日、頭頚科に再び針生検の結果を聞きに行きましたが、またうまく取れなかったと、
その日3回目の針生検。結果は年明け。
この針生検がなかなかきつく、直接甲状腺に針を刺すので、痛い。
この時点で、まだ誰にも告げていないので、自分で運転、その後出勤と、
なかなかハードな日々を送っていました。
検査が長引いて、勤務時間に遅刻したことも。
今となっては、あたしって、やればできる子だったと感心もしたりして。
そして、何事もなかったかのように年末、仕事とこなしていたわけです。
つづく。

ご無沙汰しておりました。がんと闘っておりました。

突然のカミングアウトですが、
4月頭に入院、手術をし、中旬に退院、今、自宅静養をしております。
病名は’肺腺がん’右の肺、上葉部、右肺の30%を切除しました。
背中に、20センチほどの傷が出来ました。
闘った証です。(執刀医の先生が)
おかげさまで徐々に回復し、
日常生活ができるようになっています。
ただ、肺が小さくなった分、長時間動くと、軽い息切れがしますが、
順調な回復と担当医にお墨付きを頂きました。
退院後の初めての外来時に、病理検査の結果、
切除した肺、および、粛清したリンパ節への転移もなく、
がん部分も1.2㎝と小さかったため、
ステージ1aの確定診断を受け、
恐れていた、抗がん剤治療や、放射線治療の必要もなく、
3か月に一度の定期検査で、経過観察のみになりました。
まだ、朝晩傷んだり、くしゃみをするとびりっときたり、
本調子ではありませんが、
肺という早期発見が難しいがんで、この結果は奇跡といってもいいのかなと、
幸運を感謝しているところです。
まさか自分が!!と、最近女優の南果歩さんも言っていらした言葉が、私にも当てはまりました。
始まりは昨年11月。
きっかけは、北斗晶さんの乳がん告白でした。
私も、震災前の年に、人間ドックで、乳がんで引っかかり、専門医で精密検査を受けました。
幸い、その時は、針生検で、がんではなく、乳腺膿疱腫というもので、心配ないという結果でしたが、
数年たつと、石灰化するということで、経過観察しましょうということで決着がついていました。
が、震災がおこり、人間ドックは受けていましたが、精密検査には行けず、
ここ2年は、義母の病気や、黄泉送りなどで、ドックにも行けずにいました。
北斗さんのことを知り、義母の死からその後の事務処理などが落ち着いた11月。
前に友人から聞いた、がん発見に特化したPET検査を受けてみようと思い立ち、
南東北病院の予約をとりました。あくまでもターゲットは乳がんでした。
今年から、エコノミーコースという従来の半分の費用で受けられる検査ができたことも幸いでした。
半日かかって、検査を受け、
結果は書面で2週間後という説明を受けました。
ところが、2日後、病院より電話があり、担当医からお話があるので、来院してほしいということ。
ざわざわしました。
伺うと、すぐに、先生より、左甲状腺に1㎝の集積あり、
右肺に7㎜の集積あり、
画像も見せられ、2か所がんの疑いありなので、
すぐに専門医にいくように。との指示でした。
紹介先は宮城県立がんセンター頭頸部。
泣いたのはこの時だけです。
がん物語はまだまだ続く長いお話なので、明日以降
続きを書きます。
最終的には、早期発見が何より大切ということをお伝えしたいので、
その重要さを感じていただければ幸いです。
ではまた明日。

くまとトトロ

先日行ってきました。
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くまの縫製工場で、ちびトトロ製作中!
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