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gm.imeka

Author:gm.imeka
生息地 宮城県
性別 おばちゃん
家族アリ 夫1人、子供3人
全員O型 お気楽家族

日本の代表的スクラップブッキング雑誌
Love My Memories((ラブメモ)
第1期デザインチームメンバー


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あれから8か月。

きょうは2011.11.11です。
1並びは今後100年後かな。

あの震災からきょうで8か月。

少しだけ、心の整理をつけようかと。

あの日。
幼稚園から戻ったちびと、ちび2号と3人でおやつの時間でした。
少し揺れて、地震だな~と思ったところ、大きい揺れが。
その時が初めの揺れで、震度3くらいだったと思う。
大丈夫だよと二人を抱きしめたとたんに、あの本震が。
緊急地震速報の音が響く中、二人を抱えて外へ飛び出しました。
うちの隣が公園なので、何も飛んでこない場所へととっさにしゃがみ込んでいました。
でも何度となく大きい揺れ。
私は何も考えられずに、この二人だけは守らなければと茫然自失。
ところが、、その公園が地割れが始まった。びりびりとさけていく地面。
一瞬、この世が終わるのかと思いました。
その時に、道の上から、3件先に住む母の、こっちにおいでぇ^と叫ぶ声。
ご近所さんが集まっていました。
気づけば、ちびは裸足。
ブロック塀の危険な場所をさけ、道の真ん中で、くりかえし、襲う余震におびえなすすべもなくしゃがみこんでいました。
何が倒れてくるか、わからないのでとりあえず靴を履かせに玄関に戻ると、
照明器具はみんな落ち、家具は、30センチ以上移動して、壁の棚もすべて落ち、キッチンは割れた食器が散乱していました。
それから近くの保育所の庭に避難。
おりしも雪が降ってきて、保育所の子供たちと園庭で、ビニールシートをかぶって、
震えていました。その間も大きな揺れは続き、
天を仰ぎ見るしかなかった。
相変わらずこの子たちを守ることと、家族の安否だけをかんがえて。
1時間ほどして少し落ち着いた頃、うちに戻り、
子供たちに上着を着せ、いつでも逃げられる状態のまま、
玄関で待機。
当然停電になっていました。
夫とは携帯がつながり、すぐに帰ってくれるということ。
30分ほどして何とか夫が帰宅。
帰宅途中の道路の惨状。町の様子などその時に初めて知ることになりました。
まさかその時間にあの恐ろしい津波が襲っていたことは全く知らないままでした。

とりあえず明るいうちにうちの中を片付け、
停電の夜に備え、準備をし、
ようやく、子供たちの親に無事にその大切な命を引き渡し、
家族全員の無事を確認。
実家の損傷がひどかったため、意外に被害の少なかった我が家で、総勢十数人で、リビングで避難生活。
プロパンガスだったので、ガスで、ご飯を炊き、
仕事に行く予定だったので、準備完了だった、おかずを用意し、かろうじて、その日の食事を済ませ。
当然職場も心配だったのですが、仕事には行けません。
靴を履いたまま、眠れぬ夜を過ごしました。
その間も余震は3分に一度くらいで続いて、
ラジオからは、津波の恐ろしい現実が告げられていました。

その次の日からは、必死に食料のこと、水のこと、寒さのこと、
まるでサバイバル。
でも生きることに必死なときは、人間無心になって、人に優しくなれることを知りました。
ラジオから聞こえてくる津波の被害と、命のはかなさに、
生きてることだけ十分。
それだけで、何でもできると思い、生きることに必死。

給水に並び、、食糧調達に並び、老若男女励ましあっていました。
列を乱す者のの誰一人なく、情報交換をして、あの原発の水素爆発のあった後の雨には、
並びながらお互い傘を貸しあったり。(その雨がのちに問題の放射能物質を落としていたことも知らずに)

数日間の停電の後、電気が復旧し、映し出されたのは、福島原発のライブ映像でした。

私たち、被災地に住んで入る人間は、恐ろしいと言われたその津波の生中継を見ていません。
ずーっとのちに少しだけ見ることになりました。

もう家族を守ることし考えられませんでした。
地震と、放射能から。

その後は、ガソリンスタンドに、20時間並んだり。

今はじめて、振り返るとと壮絶としか言いようがない経験です。
昔見た日本沈没という映画が現実になるとさえ思えたほどでした。
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ライフラインが戻りつつあった4月、あの最大余震。
傷んでいた実家は、写真のように床下には陥没の穴と地割れ。壁にも大きな亀裂。
家は傾き、判定は大規模半壊。
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育った家、
同居して、子供たちが生まれた家。
サザエさん一家と同じ状況で、20年過ごした家が。
なくなりました。
家族の健康不安も抱えたり。

お役所仕事の不誠実さに腹を立てながら、幾度となく複雑かつ、膨大な書類と格闘したり、

本当に本当にいろいろなことがありすぎて。

生きることの意味。
何が一番大切か。
人間の弱さ、強さ。

考える時間が少しできたころ。
今までとは違う価値観。
人生観。
そんなこんなで、震災前とはずいぶん変わりました。

ある方のブログに、”丁寧に暮らす”というフレーズが出てきたときに、素晴らしい言葉と思いました。
自分には欠けていたのかもしれません。
心豊かにやさしく。
丁寧に暮らすこと。
それが今の私に必要であり、
目標となっています。
季節を感じたながら暮らしを楽しむこと。
そんな生き方をこれからは心がけたいと思います。

長い長い文章ににおつきあいくださってありがとうございます。
というわけで、少しずつ、物事を整理して、
シンプルに生きていきます。


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コメント

やっと、語れるようになりましたね。
あの日が、遠いような…でも、まだ8ヶ月ですね。
忘れていても、じわじわと胸を締め付ける…記憶。
でも、imekaさんが少しずつ歩きはじめて安心しました!

No title

imekaさん、こんにちは。
先日の写真療法家協会体験講座ではお世話になりました。
お会いできて嬉しかったです。

あの日から8ヶ月・・・。
春の体験講座延期の知らせを酒井さんからいただいた時、
仙台の会員の方々もなんとか無事だとお聞きして
imekaさんも無事なんだと、少しだけ心が和らぎました。

今もまだまだ大変だと思いますが、
どうか乗り越えていけますように。

これからも時々遊びに来ますね。






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