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gm.imeka

Author:gm.imeka
生息地 宮城県
性別 おばちゃん
家族アリ 夫1人、子供3人
全員O型 お気楽家族

日本の代表的スクラップブッキング雑誌
Love My Memories((ラブメモ)
第1期デザインチームメンバー


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術後1年。

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がん物語その7

あれ~!!気が付けば昨年の入院からちょうど1年。
元気です。
その後の定期検診も問題なく、
主治医からは運動もOKと太鼓判。(ほんとかな)
山登りもいいよだって!!うわ^!!どこにしようかなと言ったら、
登山されるんですかと問われ、
蔵王縦走と安達太良山は覚えてないくらい昔登ったものの、
ひそかに富士登山を狙っているとは口が裂けても言えず。
まあ100%無理ですが。妄想だけは許してね。
さて、昨年の入院1日目はご報告済みですが、
次の日から、検査検査の日々。
手術に向けての検査、
そして、呼吸の訓練。
器具を使い、腹式呼吸の訓練。
肺を切って小さくなるから、呼吸が大変らしいと実感。
そして、手術室の案内。歯科の先生の治療とマウスピースの作成。
その他、施設の説明など、分刻みに忙しいのね。
病室には、麻酔の先生。手術室の看護師さん、、、
次々のご訪問でございます。
その間にもほかの病室から、新入りのうわさを聞いた諸先輩方がなぜか、
慰めてくれる。
のんびりした私が不思議に見えたのかな。
”度胸が良すぎる”とまで言われたものの、
まな板の鯉ですから。
今思えば、皆さんは、手術後、抗がん剤治療の真っただ中で、
あっけらかんな私の術後の治療に対峙した時の落胆を心配してくださったのかな。
それほど、皆さんすさまじい闘病だったということ。
今はただ尊敬です。
3日間の準備を終え、いよいよ7日の手術。
2番目の手術ということで、準備期間中に同じ手術日と分かったAさんが1番スタート。
彼女の終了を待ち、11時からの予定。
少し時間がおしたようで、11時20分くらいに病室にて肩に麻酔の筋肉注射。
そして歩いて、手術室へ。
皆さん、あのドラマとかのストレッチャーに乗ってとかじゃないのですよ。
ひょうひょうと歩いてね。手術室も自動ドアでね。
家族の皆様は、ここでお見送りですって、手を振って、行ってきま~す。ってさ。
え~!!こんな感じ。なんだ!!拍子抜け。
迷路のような手術室をさらに奥の部屋まで歩き、
まず麻酔科の先生とご対面。よろしくお願いします!!と丁寧にお辞儀しましたよ。
全身麻酔の注射を打ちますね~!!背中を丸くしてね~と言われたところから覚えていない。
目が覚めたのは夕方6時過ぎかな。
体中を縛られて、身動きとれないような状態でした。
あ~実際は縛られてないのよ。
酸素マスクと、体中からいろんな管が出ててね。びっくり。
家族が周りを取り囲んでいたな。夫、長女、長男、二男。
全員居ると確認できた。
夫が、無事終わったよと言ってた気が。(よく覚えてなくでスマン)
二男が無言で手をぎゅっと握ってくれたのを鮮明に覚えています。
ここから、今となって思えば、地獄のHCU治療室暮らしが4日間続きます。
つづく。

すこしづつ。

少しずつあたたかくなり、活動も始めております。
身体の具合は万全。
飛び切り元気です。
でも、仕事のキャパオーバーが続いており、
毎日精いっぱい。
体力は確実に落ちているようで、
疲れは倍に感じます。
定期検診も問題なく通過しており、
安心安心。
19日には一関ハンドメイドクラフト展に参加。
26日には加美マルシェに参加。
今後は少しずつ。
imeka雑貨店として活動します。
布小物、カード作品。オブジェ、アクセサリーなど。
日々の暮らしを楽しみながら手作りしたものをおすそ分けに、
主にイベント参加をいたします。
相変わらず気ままに。
ひそかにインスタや、ツイッターも始めています。
内緒ね。(笑)
ゆえに、ブログのタイトルも変えようと思います。
クラフト全般をたのしむ。そして日々のこと。
がんサバイバーバーとしての一面も。
どうぞよろしくお願いします。

がん物語その6

4月の頭は、仕事もすでに3週間もお休みしておりまして、
万が一(何を考えていたのかな?)のことお思い、かる~く身辺整理。
万が一(だから何のこと?)の時に知らせてほしいところ、人。一覧に書き出し。
でもね、さすがに迷い、遺書は書かなかった。
子どもにはそれとなく遺言めいたことは言ったかな?
覚えてないな。
夫にはしつこく言ったような気がする。
そして、結婚してから、私が入院するのはお産依頼なかったので、
洗濯機の使い方、炊飯器の使い方。お米のとぎ方(ここびっくりでしょ!)いちからご指南。
自分の入院用品を買い出し。
留守の間の食料の確保。
それはまるで、震災の時を思い出すような、レトルトと、カップ麺の数。
最近は美味しいレトルトが増え、お湯を沸かすしかできない夫でも、何とか栄養が取れるように。
バタバタ忙しかったのを覚えています。
なにしろ、自分のことより、家族が心配。
家族の食事、暮らし。
孫を預かっていたので、預け先の確保。
孫のメンタルの心配。
色々なことを考えていたので、逆に、手術への恐怖などは感じられなかったのでした。
だってね、心配してもしょうがない、こうなったら、まな板の鯉でしかない。
信頼する先生にお任せしかないでしょ。
そうこうして、夫に付き添われ、4月4日入院。
がんセンター4階呼吸器外科病棟。この階は呼吸器内科と外科の患者さんのみの階。
その日は早速の検査検査。
4人部屋に一人での始まりでしたが、数時間後には、同室の方が続々入室。
手術待ちは私一人。お仲間はすでに手術後の抗がん剤治療の方たちばかり。
初めの一日から、肺癌について、手術について、先生方について、抗がん剤について、
先輩方の熱烈なレクチャーを受けたのです。
つづく。

放置したら、ログインできなかった事件。

数えれば、4か月も放置していましたね。
そんなに放置すると、ログインできなくなって、
パスワードの変更をする羽目に。
あいも変わらずダメダメなかんじ。
ご安心ください。生存中。
にわかに目撃される熊のように、アクティブではありませんが、
田舎の片隅で、生息中。
5月に仕事復帰以来、新人状態で、やっておりましたが、6月が終わり7月に入ると、
病気休業以前のシフトに戻り、担当業務も再開。
今、冷静になると、必死で、精根尽き果てておりました。
そのころはすっかり良くなった気でいましたが、やはり無理してた感じがあるな。
毎日の生活でいっぱいいっぱいだったと思います。
身体的にもね。
そのころは、手術後、退院後に比べれば、全然平気と思っていましたが、
気が付けば、横になっている時間が多く、
無意識でしたが、苦しかったんだと思います。
今は、本当に無理はできない身体。
いまだに信じられないけど、肺を3分の1切除した、肺癌り患患者なのだとしっかり自覚。
仕事もプライベートも、無理せず、自分を大切にしたいと思っています。
3か月後定期健診も問題なく順調な回復と太鼓判を押していただき。
登山もできるよ~とほんわかの主治医に言っていただきました。
本当は富士山に登りたいとは口が裂けても言えなかった。(笑)
調子に乗って、9月に旅行したら、ハードだったのか、
生まれて初めてスーパーで買い物中に動悸とめまいで、ひざから崩れ落ちました。
救急車に乗るまでもなく、しばらくスーパーの控室で休ませていただき、
おかげさまで、どこも異常はなかったものの、酷使できない身体と自覚し、がっかり。
また、ゆっくりと、入院後の続きを書きますね。
足が冷えるので、こたつを出しました。
息子のyouが、’炬燵は人をダメにする’宣言をして、新居に炬燵は不要と息巻いているので、
炬燵派まごっちたちが、炬燵ストライキを起こしそうです。
ばあばのお家にはあるよ~とあまいお誘いをする私です。うふふ。
今日は宮城の秋の名物’はらこめし’を作りましたよ。
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