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gm.imeka

Author:gm.imeka
生息地 宮城県
性別 おばちゃん
家族アリ 夫1人、子供3人
全員O型 お気楽家族

日本の代表的スクラップブッキング雑誌
Love My Memories((ラブメモ)
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がん物語その5

この間プランターに植えたブルーサルビアの横に、今朝シメジのようなキノコが2本、にょきっと育っていたことにびっくりしました。
じめじめしてますね!

話は変わりますが、最近話題になっている芸能人のがん報道。
自分ががんになって痛切に感じるのは、’がん’という病名の独り歩き。
=死になるのでしょうか。
その名を出してしまえば、相手の方が目を伏せる。
大きな誤解があります。
今や、がんは=死ではありません。
闘う手だてがたくさんある。有り余るほどある。
がん患者さんはそれを知っています。
そして、戦う準備をして、生きることを選びます。
その苦悩はご自身とご家族のみ知るところで、世間の雑音は邪魔になる。
一般人の私でさえ、家族以外には打ち明けず。
直属の上司にしか伝えませんでした。
なぜか?
やはり雑音に対応するほどの余裕がない。これからのことに専念したい。
お見舞いさえ、苦痛になると考え、秘密裏に動いていました。
だから、芸能人の苦難と、苦悩は計り知れないものでしょう。
どうぞそっとしておいてあげてください。
きっと治ったらたくさんお話してくれると思うから。

さて、今や元気は私のがん物語は
3月11日呼吸器外科に移り、
手術の説明を受けます。
がん部分だけではなく、右肺の上葉(右肺10分の3)を切除する。
3分の1ではないんだ~!!10分の3って微妙なニュアンス!なんて思っちゃった。
背中を15㎝ほど切開する手術で5時間ほどかかる。
手術は説明してくださったA先生はじめ、呼吸器外科チーム5人で担当する。
(おお~!オールキャストなんだ!)
上葉ははリンパ節まで切り取り、後日病理検査をする。
病理検査の結果によっては、小さいものでもどの部分かに転移が認められれば
抗がん剤治療に向かう。
転移の場所により、ステージが違ってくる。
図解を交え、説明いただきました。
もちろん夫も一緒に聴きました。
手術は予約なので。4月頭になる決定は次回。
ということでこの日は終了。
そして3月25日。
手術に向けての検査、血液検査。
肺活量検査、
CT検査、肺血流シンチ検査。
心電図検査。
は~つかれた!
そして診察。4月4日入院7日手術に決定。
肺活量十分すぎるから、肺小さくなっても意外に影響少ないかもね~って、A先生。
おお~ほめられた!わたし。
お気楽すぎるだろう!!
前回の受診の時に4月頭ということを子どもたちに伝えていたら、
3月末の週末に旅行に誘われた!!
ご招待だって!!長女一家と長男一家とともに那須と福島に旅行。
さては、この姉弟、母が死ぬと思ったのか?最後の親孝行と思ったのか?
安直な奴らでございました。
まんまと楽しませてもらいました。
こころから感謝してますが、娘よ息子よ、先走りすぎたかな?
そんな二人の気持ちを理解し、受け入れてくれるお婿さんと、お嫁さんにさらに感謝。
手術前に悩みもせず、楽しい時間を過ごした私は、のんびりと体重を増やし、
この後、暴飲暴食を悔やむのでした。
次回はいよいよ入院手術。
つづく。
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がん物語その4

今日は朝から雨です。
土日は天気が良かったので、
image1.jpg
シーズンが始まった’サクランボ狩り’に孫ちゃんたちを連れて出かけました。
脚立に上り大ハッスル!!
しばらくサクランボは食べなくてもいいほど、ぜいたくに食べました。
彼らが帰った夜は、夫と二人で、公開がはじまったばかりの映画’64’後編を鑑賞。
目いっぱい活動した一日でした。
昨日はお仕事。
復帰して初めての6時間勤務。いつもの倍です。
疲れましたが、うん!もう大丈夫。
体力持ち直してきました。

そしてここからまたがん物語。
いよいよ、がんという診断も出て、
職場に報告、お休みをいただく相談をするにあたり、
上司より先に、子供たちに伝えなくてはと、一大決心して、
臨もうかと思っておりました。
だがみなさん思い出してください。
私はここまで、娘には知らせていないつもりでしたが、
そうです。年末のあの時、夫が病気のことを知ったあの時です。
私に内緒で、夫は娘に知らせていました。
まだ疑いの段階にもかかわらず。
なので、2月の結果もすぐに伝わっていました。
なんとはなく疑わしいと思っていたのですが、やっぱりの結果。
娘に話そうと思うんだけど、もしかして、言っちゃってるよね?
’うん’と夫。
色々と思うことはあるし、腹も立つけれど、
こんなしょうもない人なんです。へたれなのも十分理解しているし、
でもそんなところも含め、まあまあ尊敬できる人でもあるので、
目をつぶりました。
当然娘は取り乱すことなく、(だってだいたいわかっているもん!)
これからのスケジュールを淡々と説明し、理解を求め、了承を得ました。
長男にも伝え、(長男は初耳のためうろたえました。うろたえ方が夫とそっくりで大爆笑しました)
私の決意を笑って伝え、’応援する’といってくれました。
決意とは?
手術の方向である以上、じたばたしてもなるようにしかならない。
まな板の上のコイで、先生にお任せするしかない。
抗がん剤治療になれば、1年くらいの長期戦になることも十分覚悟し、
万が一余命を切られても、5年生存率が低くても、すべてを受け入れ、
病気と向き合うこと。
意外と冷静に、淡々と話しました。
もう年齢もいい時期を迎え、子どもたち3人も社会人になり、うち二人は幸せな伴侶と子供にも恵まれ、
楽しく、充実した生活をできている現実が、そう思わせてくれたのでしょうか。
たとえ、5年しか生きられなくても、優しい丁寧な時間を過ごしたいと願いました。
たぶん、意識はしていませんでしたが、
5年前の震災が影響していると思います。
あの時、突然に、命を奪われた方たち。
一瞬で、奪われたそのかけがえのない人生。
それを思うと、戦える時間を与えられた私は、何も怖くないと。
自身の我慢なら、どんなことにも耐えられると。
だから私は大丈夫。
文章にして初めて、思い出し、涙が出ました。
だって、これまで泣いたのは前記事でも書いた一度だけでしたから。
職場のお休みをお願いして、病状は極秘にしてもらい、3月中旬からのお休み。
3月1日検査入院
経器官肺生検法で、細胞をとり、病理検査。
2日退院。
3月10日肺がんは脳に転移しやすいので、念のため脳のMRI検査。
翌3月11日検査結果の外来。
確定診断。’肺腺がん’脳への転移はなし。
手術が確定。ここから、呼吸器内科から、呼吸器外科へ移ります。
それでも手術までの道のりは遠く、検査のラッシュが。
つづく。

がん物語その3

ごめんなさい。また時間が空いてしまいました。
5月の半ばから職場復帰していました。
もともと週に3日か4日の出勤でしたが、病み上がり(?)ということでご考慮いただき、
最初の1か月は週2ペースでの出勤。
でも、やはり、自分では元気と思っていても、仕事となると、
正直、大分つらい日々でした。
もうすぐ1か月がたちますが、今月に入り、ようやく、息切れも少なくなり、
疲れに襲われ、床に就く時間が長いということもなくなってきました。
傷の痛みもほぼ緩和、くしゃみの時の悶絶も、嘘のようになくなりつつある今日この頃です。
嬉しい、メッセージや、LINEもとどき、感謝感謝の毎日です。
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金魚のゼリー!きれいです。
ごちそう様です。
素敵なカードも。いやされました。
ありがとうございます。
 
そしてがん物語の続き。
前回は12月末までのことを書きました。
クリスマスも終わり、通年通り大掃除を済ませ、
義母の喪中でしたので、お正月を迎えることはできないので、
通常通りの生活。家族だけで、食事会をしました。
まだその時点で。子供たちは(はい!もうすっかり独立した大人です)何も知りません。
1月の中旬に甲状腺の細胞診の結果を聞くための通院予定を待つしかないので、
考えてもしょうがないと、平常の生活。
新年も販売業種の仕事のため、仕事に出ておりました。
喪中ですが、孫ちゃんたちが楽しみにしているので、おとしだまを振る舞い、
楽しい年始をすごして、いよいよ外来の日。
結果は、やはり、出ていないとのこと。
甲状腺の担当の頭頚外科の先生は、
こちらは、優先順位から決断すれば、肺のほうが先なので、
呼吸器内科の検査結果で、肺がんであれば、そちらの治療を先にして、
それからでも甲状腺がんは問題ないという結論ですので、
2月の検査を待ちましょう。と。
その結果次第で、呼吸器内科と頭頚外科で、カンファレンスを開いて、
指針を決めますと。
おお~!!カンファレンス!医師もののドラマでやってるやつだわ!
ちょこっと感激。←ばかか!
余談ですが。このころ、ちょうど’フラジャイル’という長瀬智也主演のドラマが、病理検査医師の話だったので、
まさにビンゴな内容で目が離せませんでした。

2月までまた持ち越しになりました。
未だ確定していない病気なので、
子どもたちにも言えず、
治療が決まった場合の、職場への報告をどうするかとか、
預かっている孫ちゃんをどうするかとか、いろいろ悩みはするものの、
結局、何も確定しない内はどうしようもないので、
あまりくよくよしても、ね!しょうがないな~ということで、意外と明るい気持ちでいられたのは、自分でも不思議です。
今思うと、実感がわかなかったのかな?
そして迎えた2月の呼吸器内科の診察。
レントゲン、MR。血液検査。
たっぷりの時間をかけ、検査結果が出てからの診察。
’大きくなっています。’画像を見せられ、説明される。
この時ばかりは夫もついていくというので、一緒に聴いてもらいました。
11月は7㎜、今回は1,2㎜の大きさです。
成長しているので、ただの炎症とかではなく、
肺腺がんの可能性がきわめて高い。
手術になるでしょう。場合によっては抗がん剤投与の可能性もあります。
可愛い女医さんがにっこり言いました。
手術で取れば治りますか?私もにっこり聞きました。
とってみないと何とも言えませんが。
小さいうちとったほうが断然いいです!と可愛い女医さん。(本日2度目)
右肺上葉部。画像で見るとほぼ真ん中あたりに、根を張る様な何かが。
ほぼ確定ですが、今度は、肺の中の細胞を取って、さらに確定させましょうと決まりました。
3月1日。一泊二日の検査入院。
決まりましたので、そこからがまた忙しかった!
職場の上司に相談し、今後の仕事をどうするか。
子供たちへの報告。
ココからいよいよばたつき始めたのでした。
つづく。

がん物語その2

前記事で12月までのことを書きました。
通院の時系列はその1の通りですが、
その間の葛藤や、影響もいろいろとありました。
まずは、万が一のことがあれば、後悔するとなんとなく思い、
両親を温泉旅行に連れ出しました。
12月の頭です。
近場でしたが、温泉、石巻、女川、松島、うみの杜水族館、
行きたいという場所を計画なしで進む旅。
私は一日目はついていけなかったので、夫と、叔父夫婦に一緒に泊まってもらい、
二日目の始発電車に乗り、合流。
まあまあ喜んでくれましたが、これはあくまで、私の自己満足だったんでしょう。
姑を温泉に連れて行きたっかのに、かなわなかったこともトラウマになっていたのかも。
私自身の職場もいろいろ動きがある時期で、
悩み多きものの、忙しいということはイコール忘却なのであることで、
考えなくてもいい時間があったことは救いです。
そして、確定まで誰にも言わないでおこうという決意は、
いとも簡単に崩れたのです。
はい!!自白します。私は’へたれ’でした。
あれは、3回目の針生検を終え、へとへとになり職場に行き、勤務して、
やっと帰宅した数分後、’今日は急な飲み会になったのでお迎えよろしく~♡’
という能天気な夫からのメールが。
何も知らないから能天気なのは仕方ないのですが、
我慢して迎えに行くものの、さらに能天気なご機嫌な酔っ払いに変身した夫。
いやいや~さすがに参りました。
このまま年末もご機嫌な酔っ払いの相手はかなわんと思い、
しらふの時に、がんセンターの診察券をご提示させていただきました。

なにゆえ、夫にも言わないでおこうと考えたか、
さかのぼること、十数年前、彼は皮膚がんになりました。
その時も命にかかわるものではないが、手術で取ろうといわれた時のうろたえぶりは
ハンパないものでした。いえ、動揺というより、思考回路が止まってしまったようで、
何も聞こえない、話せないという感じ。仕方のないことだったのかも。
結局、、私が奔走し事なき内に大学病院に入院手術、り患部分がきれいにとれて、
経過観察も問題なく、5年が過ぎて、完解状態で今に至っています。
その時の状態と、数年前の私の乳がん疑いの時、検査前でもあるにもかかわらず、
子どもたちに連絡し、ママががんだと宣言してしまったこと。
この二つの事件から、導き出した結果だったのです。
それなのに、。腹が立った勢いで、知らせてしまった。
私の人間が出来ていない証拠でした。
とほほ。
あなただけの胸にしまってくださいとお願いしたのですが、
はい!!お察しの通り、次の日には娘にばらしてしまっておりました。
とほほ。ダブル。
それが、クリスマスも終わった年末でした。
私自身はといえば、結果を待つしかない時期でしたので、思ったより冷静で、
余命を切られたら、やるべきことを箇条書きで書いたり、
就活の記事を読んだり、
がんについて調べたり、
今後に思いをはせることをしながら、
日々通常通りの生活していました。
つづく。

がん物語その1

昨日の記事より続き。
紹介状を持って、県立がんセンターを訪れたのは、岩沼南東北病院で、PET検査の結果を聞きたその足ででした。
紹介状を持っていてもその日のうち無理でしたので、予約を取り、帰宅。
確定診断がつくまでは誰にも言わないつもりでいたので、
まんじりともしない思いでいましたが、
毎年恒例の結婚記念日旅行に、何も知らない夫と、出かけておりました。
行き先は日光、東照宮で、何を願っていたのかは誰も知りません。
そして11月26日がんセンター頭頚科初診。
その日のうち、CT検査。内視鏡検査をして、ペットの画像とも照らして、
確かに何かあるようだと。
次回超音波検査と、針生検をしましょうということに。
12月4日超音波検査と針生検。
結果は12月10日という説明。
12月10日、針生検で、細胞がうまく取れなかったという結果で、
12月18日再度針生検。
結果が出るまでの間、肺の部分も気になるので、念のために、呼吸器内科も受診を勧められ、
12月24日、呼吸器内科初診。
この時まで、肺は炎症でもPET検査で反応が出ることもあるということだったので、
ちょうど風邪をこじらせた時期でもあったから、すっかり炎症だと思っていました。
CtTの結果も、レントゲンも確かに右肺に何か影があることが判明。
しかし7㎜という大きさなので、炎症の可能性もあるから、3か月経過観察しましょうということに。
2月に見て、大きくなっていればたぶん’がん’です。無くなるか小さくなっていれば炎症です。
そうか~!!って感じ。
そして、
甲状腺にあるものが、たとえ、がんだとしても、この部分のがんはおとなしく、
今すぐ進行するものでも、命を脅かすものでもないとの説明を頭頚科の先生より聞かされました。
がんだったら、急がないので、希望の時期(あったかくなったらとか、仕事の都合とか)に手術しましょうか。
などとおっとりした感じで、今後を詰める予定でした。
12月25日、頭頚科に再び針生検の結果を聞きに行きましたが、またうまく取れなかったと、
その日3回目の針生検。結果は年明け。
この針生検がなかなかきつく、直接甲状腺に針を刺すので、痛い。
この時点で、まだ誰にも告げていないので、自分で運転、その後出勤と、
なかなかハードな日々を送っていました。
検査が長引いて、勤務時間に遅刻したことも。
今となっては、あたしって、やればできる子だったと感心もしたりして。
そして、何事もなかったかのように年末、仕事とこなしていたわけです。
つづく。
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